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ありえない!私を置いて札幌に!?

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お題「住みたい街、住みたかった街」に参加します。

 

北海道が大好きで、ようやく念願の札幌に住むことのできた私ですが、ここまで来るには本当に、本当に!いろんなことがありました。

 

 

いつ何のきっかけで札幌にあこがれたか

実は覚えていません……すみません!

少なくとも結婚した時(ン十年前です)にはもう札幌に住みたいと思っていたことは確かです。

転勤族の主人が会社に転勤先の希望を提出する際に、毎年「希望地・札幌」と書かせてましたから。

思うに私は子どものころから暑さに非常に弱くて、反対に雪や寒さは大好きだったので、それで子どもながらに札幌にあこがれ始めたのではないかと思います。

その後、大人になるにつれて入ってくる情報――大迫力の雪まつりとか、私の大好きな色・薄紫のラベンダー畑が広がっているんだとか、素晴らしい色の青い池があるんだとか――で、ますます私の札幌熱は高まったのでした。

 

運命を変えた東日本大震災

さて、毎年転勤希望を出していたからといって、札幌は人気転勤先、叶うはずもなく人生のほとんどを地元の宮城で過ごしていました。

主人が石巻市の営業所に勤務していた2011年のこと。

「次の転勤は西の方になるかもなあ」

「えー、西?」

なんて会話を主人としていました。

そして11日を迎えたのです。

当時、私たちは仙台に住み、主人はそこから石巻の会社に通っていました。

震災前後のことは詳しくは省きます。

幸いにも家族は全員無事でしたが、親戚は津波で亡くなり、主人とも再び会えたのは3~4日後でした。

石巻にあった主人の勤務先は、2階建ての建物の2階の天井まで津波がきたらしく、跡形も残りませんでした。

 

このタイミングで札幌転勤に

会社がなくなり、しばらくは避難所を回って従業員さんの行方を捜していた主人ですが、それも一段落した4月に会社から転勤の辞令がでました。

「札幌」です。

一瞬、頭が真っ白になりました。

息子は当時高校1年生。頑張って勉強してようやくあこがれの高校に入学したばかりです。また、特殊な科だったので簡単に転校はできませんでした。

 

単身赴任しかありませんでした。

 

 

なんでこのタイミングで!?しかも私を置いて札幌!?

 

この時、一日に10回以上は余震が来ている時期でした。震度4くらいの余震も月に数回は来ていたと思います。

我が家の家具もみんな壊れていたけど、ホームセンターもどこもまだ再開していなくて家じゅうボロボロのままでした。

 

こんな不安な時に単身赴任でいなくなるって!?

しかも、ようやく!私のあこがれの札幌に転勤になったのに私自身は行けないって!?

 

当時の私の気持ちをお察しいただけるでしょうか。

 

そりゃ、ないだろうぅぅぅっ

 

あんなに運命を呪った日はなかったかも。

 

2年後にようやく私も札幌へ

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主人の単身赴任生活が2年を過ぎ、息子も無事に大学に入学してひとり暮らしをはじめ、ようやく私も札幌に来ることができました。

 

ようやく!

ようやくだよ!

やったぁぁぁ!

 

涙が出るくらいうれしかったです。

実は、震災後の2年間はいろいろあってずっと不眠症だったのです。

札幌に引っ越してきてから、ようやくぐっすりと眠れるようになりました。

 

北海道生活をエンジョイするぞーーー!!!

このあこがれの札幌での生活は、震災後いろいろと頑張った私へのご褒美だと思い、思いっきり楽しむことにしました。

もう北海道中あちこち回りました!

観光地はもちろん、気になるお店やスポットへ!

まるでヨーロッパのような気候におどろき、

円山公園を飛んでる虫が見たことないものばかりなのにおどろき、

美味しい野菜に感動し、各地のソフトクリームを食べ歩き

 

yuccow.hatenablog.com

 

 

初めて牛乳を「美味しい!」と思えた自分を新鮮に感じ。

 

 

yuccow.hatenablog.com

 

 

とにかく全てをエンジョイしています。

 

その結果がこのブログ誕生となったわけでした。

 

 

 

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